八丈島は遠流の地とされ、流罪人が送り込まれた歴史がある。
幾人の運命が流されたことであろうか。  今もそれらの史跡が残されている。
浮田秀家と豪姫!

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(場所 南原千畳敷)
豊臣家五大老、浮田秀家は関ヶ原の戦いに敗れ二人の幼い息子と共に八丈島に流された。

妻 豪姫(前田利家の娘)を伴うことは許されず、在島生活50年、84歳の生涯をこの島で終えた。

二度と逢うことの出来なかった二人を一緒に座らせて遙かな備前美作(岡山県)の領地を見据えさせたこの碑には、遠い昔の悲愁の将に思いを馳せ、偲ぶ島の人々の情愛を感じる。

抜け船!

(場所 神港)
大自然の厳しい生活は島に生きる者にとって容易ではなかった。
まして流人にとっては辛かった。

死罪という極刑を背負っても新天地を夢見て脱島を企てた。
まさに乾坤一擲、運命を託した木の葉船が、時の流れの中を彷徨いながら今もここに存在する。
クニノミチ!

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(場所 永郷)
流人が名付けたと伝えられているクニノミチ(国の道)は島の最北端、中根ヶ崎の中央にある。干潮時には本土へと続く海底の道であるかのように突然、姿を見せるのである。
絶海の孤島へ流された人々の果てしない望郷の思いが伝わってくるような実に不思議な場所である。
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